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2014年09月12日

震災から3年半、南三陸町に行って来ました

毎度ありがとうござ

 昨日、一昨日と一泊二日で、仙台まで行って来ました。「快眠ひろば」の、快眠フォーラムin東北が開催されたからです。
水曜日は、始発の新幹線で、東京を乗り継いで、10時過ぎに仙台につきました。早く付いたので、飛行機で着く関西からのメンバーを待って、早めの昼食に向かいました。仙台と言えば、やっぱり「牛タン」、駅ビルの中のレストランで、3人で「折角だから、色々な種類の牛タンを食べよう」というとで、牛タン定食に、牛タンカツカレー、牛タンカツ肉味噌定食に、牛タンロコモコ風丼と頼んで、牛タンを堪能しました。牛タンカツ、良いですよ。美味でした。

 午後から会議室で、夕方5時過ぎまで、びっしりと内容のある「快眠フォーラム」が開催されました。今回は、東北7店舗のそれぞれの取り組みの紹介があり、皆さん独自の販売方法で、参考になる点も沢山ありました。自らお客様の元に出掛けて行くお店、組織を活用しての外販方法、さらには、集客の為に頑張ってやり続けたことが、成果となって現れたお店など、それぞれのノウハウも公開して頂きました。
 あまり詳しくは書けません。我々「快眠ひろば」の、今回参加したお店の貴重な情報、財産であります。時間とお金を使ってでも、参加して良かったと思いました。
 18時過ぎからは、楽しい懇親会、更に二次会と続きました。仲間はやっぱり良いですね。

翌日は、2年前から「快眠ひろば」展開店全店で取り組んでいる、東北復興支援のツールを作って頂いている、「フロンティアジャパン」さんの、工房を見学しました。廃坑となった学校跡を活用し、震災で被害を受けた間伐材を利用して、様々な復校応援グッズを作っています。
 その後は、被災地・南三陸町を訪れました。復興のシンボルでもある、「さんさん商店街」で昼食や買い物をしたり、南三陸町の「語り部」さんがバスに乗ってきて、色々と案内をして頂いたり、現状を教えて頂きました。
震災から3年半、南三陸町に行って来ました
南三陸町防災センターです。バスで、近くまで行くことはしませんでしたが、車窓から眺めました。改めて、本当に想定外の高さの津波が襲って来たことが解ります。
震災から3年半、南三陸町に行って来ました


震災から3年半、南三陸町に行って来ました


港近くでは、仮設の市場があったり、一部の造船所がいち早く再開をしていましたが、少し目線をうつせば、まだまだ何の復興も出来て居ません。
市街地も、建物は全く無く、一部かさ上げの造成工事は行っていますが、とても人々が住む、住宅が建つという状況ではありません。
震災から3年半、南三陸町に行って来ました


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こんなにも、穏やかで綺麗な海が、一瞬で全てを飲み込んでしまいました。
震災から3年半、南三陸町に行って来ました



高台にあった戸倉中学校は、1階が浸水の被害を受け、今では廃校になってしまったそうです。まだまだ、きれいな学校であり、時計は、いつまでも震災の時間を指していました。
震災から3年半、南三陸町に行って来ました


さんさん商店街で、ウニ丼を食べたかったのですが、8月で終了との事で、海鮮丼を頂きました。更に、人生2度目の「ほや」も食べましたが、前回はとてもたべられませんでしたが、今回はおいしく頂きました。
震災から3年半、南三陸町に行って来ました



二年ぶりの、東北・仙台でしたが、間違い無く復興は一歩一歩進んで居るとは思いますが、まだまだ現実を見ると、厳しいですね。被災者全てが、震災前と同じ生活に戻るには、まだまだ相当時間がかかると思います。我々も、風化させることなく、微力ではありますが、復興の支援を続ける事ができたらと、改めて感じました。やっぱり、現地を見る事が出来て本当によかったです。

本日もありがとうございました。




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